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先日、先輩ママに誘われて、子供がスポーツのお試し体験に行ってきた。本当に楽しそうにして、もっとしたいというので、習わせてやろうかなと思った。しかし、その先輩ママのアドバイスに私はとっても驚いたのだ。
家の子も、○○ちゃんも、どちらかというと、個人プレーの性格だよね。 集団競技で、我先に勝とうと前に出るよりは、やさしいじゃん。 だから、こういう個人競技のスポーツで楽しく体力つけてもらっていった方が、 いいと思って。 自分の子だけでなく、家の子まで! 性格を良く見てくれている!と、とっても感動した。 そして、自分が既に自分の願望を押しつけようとしてしまっていた事に気付いた愕然とした。 危険だ。 私は、自分が出来なくて苦労したので、 子供には、今から集団競技をやってもらって、 そういうのに慣れてもらおうなんて考えていたのだ。 ところが、それは本当に子供の性格を、気持ちを大切にする事だろうか? いや、挫折も大切。 でもそれを、私がするように仕向けていしまっていたのかもしれない。 いやでもやっぱり挫折も重要だけどな~。 なんてグルグル思考が始まる。 で、結局子供の性質を大切に育ててやる方がいいだろうと思った。 それは、子育ての更なる大先輩が、家の子を見た時に、 本当に繊細だから、大切に育ててあげてね。 と、言ってくれた事を思い出したからだ。 繊細さは、どんなに傷ついたって、変える事は出来ないと感じている。 もう十分学校の生活だけで、色々あるかもしれない。 それで更に、辛い事を押しつけるのは酷だ。
夢をみた。
上の子の時に幼稚園で御一緒したお母さんが出てきて私が泣きごとを言うのが許せないと説教をされた。少し落ち込んだ気分で、もう泣きごとは言わまいとやけにリアルに決心していた。 朝起きて、ああ夢で良かったと思うほど、落ち込み、ハラハラした夢だった。でも、それほど私って、泣きごと言っているのかな。やはり、人からすると、泣きごとを聞かされるのは、あまり気分のいいものじゃないんだろうな。とか、改めて考える。 やはり、泣きごとを言うのは極力止めてみようと思った。 そして、今はそういう事も思える時期なのだ。今年に入ってから、色々人から誘われる事も多くて、とてもいい情報が入ってきてりして、役員になってから、更に色んな人と話すようになって、こんな風に過ごす時が来るとは夢にも思っていなかったほど、毎日楽しい。 人生こんな時ばかりではない事はよく分かっていて、今も問題が全く無いわけではないのだが、本当に人に恵まれていると心底感謝しながら日々を過ごしている。
考えてみて、竜巻やら、色んな自然災害が実際おこる様子から、本当に周囲で、単に雨が降ったり、風が吹いたり、花が咲いたりしているのをみて。ああ、もしかしたら本当は、私が悪かったんだろうと思った。
それは、昔の人が創ったもの、描いたものが凄くて、現代の人は、自然破壊ばかりしているから、自然も感じる事が出来なくなっているんじゃないかなと思っていた。でも、ちょっと違うような気が最近してきている。 一番問題なのは、そこに集中しないこと。やる事が沢山増えてしまった事ではないかなと。 昔は、若くても凄い人が沢山居たのは、テレビやネットをぼうっと見たりする選択肢なんか無くって、とにかく何かに集中したのだと思う。その集中こそが、現代と昔の人の感覚を隔ててしまっているのではないだろうか。雨が降っているからテレビ観ようではなくて、雨をしっかりと感じる。それが自然と出来ていたのではないかと思う。 それで現代の人は、寿命は伸びたのだけど、ただ単に間に“暇つぶし”の時間を組み込むだけになってしまっていて、何かに集中するという事が無いんじゃないかなと。ふと思った。 でも実際は、寿命が伸びる人ばかりじゃないので、集中した方がいいに決まっている。集中してみようと今、試みている。
世の中には、不安になる要素が沢山あって、昨日は、友人のあまりにしっかりしたお金管理の事やら、ご主人の高待遇の話を聞いて、ブルーになってしまった。私って、何にもできてないし、これからの見込みも全くない。そういうセンスが全く欠け落ちて産まれてきている。それで、とても不安になって胸が締め付けられる。
でも今日ふと思った。問題は、子供が自立するまでだ。その後、お金も何にも無くなって、過ごさなければいけなくなったら、最後の夢をかなえればいいかもしれない。小さな船で、でも沖合まで行けるくらいな大きさの船でこぎ出して、周囲に海しか見えないような所で、ずっとずっと過ごす。綺麗な空と海を見ながら、その内意識が遠のいて、後は嵐にのまれて海のもくずと消える事ができればいいのかもしれない。その消える瞬間、目が覚めて、海の中から綺麗な太陽が水に反射する光と、海の風景を見る事ができるかもしれない。ただ、その小さな船を買えるだけのお金は残しておけばいいのかもしれないと。 しかし、そう思って、もっと考えると、でももったいないなと思った。そんな夢だった、綺麗な空と海を見ながら、風を感じながら過ごせたなら、私は、表現してくてたまらなくなるだろう。それが出来ずに死ぬなんて、辛い。今までもこんな思いがあって、死なずに居る事ができた。 それに、天にも生を与えられたままなので、幸福なことだ。死ぬまでにその思いを表現できたなら、それ以上幸せな事はないと思っている。
体重を減らそうと思っている。きっかけは、去年のぎっくり腰で、整体に行った先の先生が痩せるように痩せないのは意思が弱いんや。と言われた事だ。それ以来悔しくて、痩せようとしている。
一旦先日まで実は、4キロほど痩せていたのだけど、先日実家に帰省して、母の料理がおいしくて食べていたら、なんと一週間でその4キロがもとの黙阿弥となってしまった。それで気付いた事は、私は私以外の大人が居ると、母といえどもその大人に気を使ってしまって、自分の意思を保てなくなる。後、田舎の生活は本当に運動する機会が少ないという事だ。 後もう一つ痩せねばと思ったきっかけは、今度5年ぶりの健康診断を受けて、悪玉コレステロールが結構な数値なのと、高血圧とで、やっぱり痩せないといけない事を思い知ったのだ。急いで、ダイエット本も読んだりして、青汁やら、血液がサラサラになるという梅肉エキスやらも取り入れて、腹いっぱい食べないようにして、毎日腹筋などの運動を継続しているのだが、今日ちょっと、また痩せてきたような気がしてうれしくてこれを書いている。 しかしこの満腹にならない、腹八分目という感覚がとても自分にとって分かりにくい感覚になっている事に気付いた。子供達が産まれてから、残しておいてもおいしくなくなって食べなくなるから。など理由をつけて食べていたのだ。本当は、ラップなどして丁寧にしまう手間を面倒に思う事もあって、その手間を避ける行動にすぎなかったりするのだが。 これは、腹八分目に医者いらずという考え方をすれば、言語道断なのだけど、それよりも私には、固くなって冷蔵庫の奥に食べられようともせずに冷えたままのご飯やら、味噌汁やら。それを取っておくために必要な容器を洗えずに冷蔵庫に入れておかねばいけないというストレスの方が重たかったのだ。 しかし考えを改め、今は、自分の食事をとらず、子供達の残り物だけで食事を済まそうという試みをしている。夕方以降は、もうあまり食べない、日中もよく噛んで腹八分目を。まず、この当たり前の事が出来るようになりたいなと思っている。
以前祖母と同い年くらいの友人と話ながら、お互い人の裏の気持ちを察する能力が全く無いね~という話をした。友人は、物凄く鋭い部分があるから、そっちに感覚が全て取られてしまっている感じとの事だった。なるほど私に鋭い部分があるかどうかは別といて、私は人の下心というか、そういう事を察するのが苦手だったというのを気付かせてもらった次第。
よく、ブログなどのインターネット媒体でも、こんな失敗しちゃった。という話をしている人がいて、たいてい私も同じような失敗をしていたりするので、大丈夫だよ。私もこういう失敗したよ。という話をしてしまいそうになるのだけど、友人とその話をしてから、そうしてはいけないのではないかと思うようになった。その失敗した人は、私ってこんなにおちゃめという部分をアピール?している心理もあるのではと気付いたからだ。だから、私も同じような失敗を披露してしまうと、面もくを潰してしまう事になる。 また、私ってこんなに苦労している。という話に、本当に心配してしまった事があるのだが、後で苦労自慢というものだったと分かって脱力した事がある。苦労している私って凄い、素敵という感覚らしい。分からないでもないが、それだったらしんどそうに話さないで居てくれた方が有り難い。 これは、そういう事を言ってはいけないという話ではなく、私にとっては分かりにくくて、なんか励まそうとしたら、全く違う違う心理で、なんだ~という事になってしまったという話である。 以上、かなり辛口になったかもしれないが、人の気持ちを察するのは本当に苦手みたいだ。だから人の冗談も分からなかったりして、人と居ると疲れる事もしばしば。それでも、一緒に居ると楽しいと思える人達は沢山居るので、よくそういう人々とこんな私がよく出会えたものだと有り難く思える。
役員になった。なれる人が少ないので、先生から名指しだった。本人の承諾無しに決定!?と突っ込みたくなるような感じだったが、それだけしてくれるだろうと見られていたという事か。。。私達3人。
ツイッターをやめた。
きっとある程度は、有益な情報も頂いたのだが、それ以降は、自分の中に常に静電気を溜めこんでしまうような感じで、ノイズがうるさくなってしまって、どうにも耐えられなくなった。有益な情報もあるのだが、それ以上に雑念ばかり取り込んでしまって悩んでしまったことも。 端的に話をすると、ツイッターも村社会ができあがっていると感じたからかな。 を読んでいる。 前のエントリーとちょっと矛盾してしまうか?こういう内容、ずっと読みたい、知りたいと思っていたあたりの事が書いてあって感動している。日本云々ではなく、ずっとずっと以前の、人間が人間となった頃からの魂についての探究と言えばいいのか?まだ読みかけなので、ちょっと適切ではないかもしれないが、驚いたので書いている。 この対談の内容がとても気になっている。 特に神統系のような音楽は、本人が何か意図する、意図しないにかかわらず、何か他のものをしょっちゃってる感じがするという部分。坂本龍一さんの言葉。凄くその感覚は、分かるし、何をするのでも、私もそういうものは背負わずすっきりしていたいと思うので、忘れないでおきたいと思った。
ラプンツェルをみた。
子供達は、喜んでいて、私も面白かったのだが、それ以上にキャラクターの表情に驚いた。 大袈裟なくらいに豊かというか、不自然にさえ見えるというか、喜劇っぽいというか、 独特の表情をしていた。 子供達も、どこでうけるかというと、その大袈裟なリアクション、声。 最後に出てくる、おじいさんの天使が眉をひくひく動かすところとか。
無印良品のダッチオーブンを買って、ベーコンをつくってみた。
一度、中華鍋でボールをかぶせてつくった事があったのだが、固くなってしまって、 このダッチオーブンだと、作りたては、驚くほど柔らかくてジューシー。 良い肉ではなくて、割引されていたような普通の国産の豚バラなのだけど、 感動してしまった。 ところが、後日ポトフに使用して子供達に食べてもらったら、不評。 確かに出来たてを試食したのが一番おいしかった。 改良が必要かもしれない。 無印のダッチオーブンについては、厚みも4.5ミリとよい厚さで、 大きさは、野外で使うには小さめかもしれないが、家の中で使うには、ちょうどよい。 普通の二口のガスレンジにかけて、横に中華鍋やら置いて作業していても邪魔にならない大きさ。 しかも、他社と比較した場合、高さがあるので容量は結構ある。 という事で、ちょっと発売されたばかりで、冒険してしまっているかなと思いつつも、買ってしまった。 とにかく私は、鉄のフライパンが扱いやすくて大好きだったので、 空焚きを気にしなくていいダッチオーブンが手に入ってうれしい。
帰省した時に、アトリエの先生に薦めていただいた、チャップリンの独裁者を久しぶりにみた。最初は、白黒だし、つまらないのでは?とか失礼ながら思いながら拝見していたのだが、途中から目が離せなくなって、最後には思いがけず泣いてしまって、頭の中を様々な事が思い廻っていた。
しかし今は、戦時中ではないのに、この中に描写される、殴られて罵倒されるような感覚。私には、痛いほどわかるのだ。表面は、綺麗に取り繕っていても、そこではどす黒い感情があり、それを綺麗な言葉で表現されている怖さが現代にはある。差別もある。だから今でもまだ、このチャップリンの映画を皆見るのではないだろうか。 ヒトラーと容姿が似ていたという事だが、幼い頃の環境も、お互い恵まれたものではなかったといったもだったような記憶も。これは定かではないが、そうだとすると、ヒトラーとチャップリンを対極の道に向かわせたものは何だったのかという事が気になる。ヒトラーのわが闘争やら、チャップリンの自伝もあるようなので、読んでみたいと思う。 チャップリンの独裁者・最後の演説(英語資料) http://kurikuri.jp/kurumi/?p=691 チャップリン『独裁者』(The Great Dictator)・・ヒンケルの演説 http://plaza.rakuten.co.jp/sebook/diary/200909060005/ このHPにありました。 http://mockmoon.sblo.jp/ continuous shatter デジカメの連続撮影を利用した動画集だそうです。
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